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車載脈拍センサの開発

マイクロ波センサからの脈拍数推定手法について
三谷 重知
三谷 重知代表執筆者 Shigetomo Mitani
オムロン オートモーティブエレクトロニクス株式会社
開発統括室 技術開発部
専門:機械システム工学
所属学会:計測自動制御学会

近年、高齢化社会を迎え、ドライバの健康状態に起因する事故が増えつつある。運転中に体調が悪化した場合には、重大事故に発展することもあるので、その予防策が一層に求められている。
ドライバの健康状態を把握するための生体指標の1つとして脈拍数がある。これにより、ドライバのストレス状態などを把握することができると考えられている。そこで、マイクロ波をドライバの身体へ照射し、その反射波のドップラシグナルから脈動成分の抽出を行い、脈拍数を推定する車載脈拍センサを開発した。
この脈拍センサを運転席のシート内に設置し、運転中の外乱の大きな状態でもドライバの脈拍数を正確に推定できるようにするため、適応フィルタなどの信号処理技術を駆使した独自の脈拍数推定アルゴリズムの開発を行った。
本稿では、車載脈拍センサとして測定精度を維持するのに有効な信号処理アルゴリズムについて述べる。

1. まえがき

近年、高齢化や健康状態による運転への不安や飲酒・薬物の乱用、モバイル端末操作による危険運転などの社会的な課題に対する具体的な対策の開発が望まれている。
そこで、運転中のドライバの生体情報を取得することで、ドライバの状態を把握し、その状態に合った適切な支援を行うドライバモニタの領域が注目を浴びている。ドライバモニタでは、車室内で着座姿勢という限定された環境下で、運転中のある程度まとまった時間において生体情報を取得できるという、車載環境ならではのメリットを活かし、更に、将来的にIoTと絡めた様々なサービス提供と連携することで、今後において発展性の高い事業が期待されている。
ドライバの健康状態を把握するための生体指標の1つとして脈拍数がある。これにより、ドライバのストレス状態などを把握することができると考えられている。
そこで我々は、運転中のドライバの脈拍数を正確に推定することのできる車載脈拍センサの開発を行った。
これまでに、車両のシートに設置して、ドライバの脈拍数を測定するセンサの方式としては、次のタイプのものが考えられてきた。

①電極式(インピーダンス変動を計測)
②圧力センサ(圧電素子)
③エアチューブ式(空気圧)
④静電容量方式
⑤光学式(ヘモグロビン濃度による吸光率変動を利用)
⑥電波式

停車中の車両において、ドライバが安静にしている状態であれば、どの方式でも脈拍数を推定することは比較的容易であるが、運転中の外乱の大きな状態で脈拍数を正確に推定することは非常に困難となる。また、耐久性の面を考えると①から④の手法では少なからず課題が残る。⑤の光学式では、着座の仕方によっては、脈拍を測定可能な部位が外れる場合が多く、正しく測定できない頻度が増すことになる。⑥の電波式の場合は、身体に広く照射することができ、比較的安定した測定が可能であり、また、非接触での測定が可能であるため、車載という過酷な環境下に耐え得る特性を持つ。電波式での従来研究1)では、実際に走行中の車両内において、運転動作を伴う場合には、正確な測定が困難であり、処理も大掛かりなものであった。そこで我々は、コンパクトに実装可能な独自の信号処理手法を開発し、運転中でもリアルタイムに脈拍を測定することを可能とした。

図1 電波式脈拍センサ開発イメージ
図1 電波式脈拍センサ開発イメージ

図1に示すように、脈拍センサを運転席シートに内蔵し、電波センサで検出した信号からデジタル信号処理により脈拍数を推定する。また、加速度センサで車両振動による衝撃を検出して判別することで、誤った脈拍数の出力を防止する。

2. 脈拍数測定原理

図2 脈拍センサシステム構成
図2 脈拍センサシステム構成

図2に脈拍センサのシステム構成を示す。電波式の脈拍センサでは、送信アンテナTxから身体表面へ電磁波(マイクロ波)を照射し、その反射波を受信アンテナRxで受信する。マイクロ波センサでは、送信する送信波の発振を行い、また、送信波と受信波とをミキサした後のI、Q信号を出力する。MPUでは、フィルタを通した後のI、Qのアナログ信号をA/Dコンバータによってサンプリングを行い、デジタル信号処理を行ってI、Q信号から身体表面の微細な動きを検出し脈拍数の推定を行う。 送信波、受信波、ミキサ後の信号の理論式は、式(1)〜式(3) で表わされ、I、Q出力信号の理論式は、式(3)から低周波数のドップラ角速度を含む項のみを残し、I出力に対してQ出力をπ/2だけ位相を遅らせた式(4)、式(5)で与えられる。

●送信波の理論式

数式

●受信波の理論式

数式

●ミキサ後の理論式

数式

●I出力の理論式

数式

●Q出力の理論式

数式
数式
図3 I-Qリサージュ波形と身体表面の観察
図3 I-Qリサージュ波形と身体表面の観察

身体表面の動きをI、Q出力に含まれるドップラ角速度 ωd を推定することで検出する。このドップラ角速度 ωd を求めるために、図3の左に示すようにI、Q出力信号で形成するI-Qリサージュ波形の位相θを定義すると、ドップラ角速度 ωd は位相 θ を時間微分したものである。また、この位相θにより同図右に示すように身体表面の微細な動きを観察することが可能となる。位相θの値を変位量に換算すると、呼吸による変動が50 µmに対し、脈動が10 µmの微細な変動で観測できている。しかし、この変動は、測定する部位や体表面の支持の仕方によって異なる。また、非安静状態では、様々な体の動きが外乱となるため、脈動を観測することが困難となる。
外乱に埋もれた状態から脈動の信号を抽出するため、本脈拍センサでは、デジタル信号処理手法を駆使している。また、位相 θ を直接計算する代わりに、ドップラ角速度の近似式として、式(6)を用いることで、演算の効率化を図り、小型のマイコンでも実装可能な処理を構成して、小型化に成功している。

● ドップラ角速度の近似式

数式

3. 開発目標

図4 脈拍センサ外観
図4 脈拍センサ外観
表1 脈拍センサ主要仕様
項目 内容
動作温度 -20℃ ~ +70 ℃
サイズ 45×50×17 mm
消費電流 Max 150mA以下
通信 C-CAN
Doppler Sensor周波数 24.05~24.25GHz
Doppler Sensor出力強度 3dBm
脈拍数検出範囲 50~160BPM
脈拍数推定精度
(RMS誤差)
±10BPM(走行時)

今回開発した脈拍センサの外観を図4に示している。また、主要仕様を表1に示している。図2に示すように、SPI通信によってマイクロ波センサ及び加速度センサのレジスタ設定を行って制御し、加速度センサからは加速度のデータを取得する。加速度データは、センサへ加わる衝撃による外乱を検知するために利用される。今回開発した脈拍センサでは、CAN通信によって、外部ユニットと接続して利用することができる。この構成により小型化を達成し、シート内に内蔵可能なようになっている。また、脈拍数の検出範囲と推定精度は、表1に示す仕様を達成することを開発目標とした。
本脈拍センサにおける課題を示すために、図5左により、外乱の様子を示している。運転席のシート内にセンサを埋め込んだ場合、身体表面とセンサ間の距離変動や、周辺金属物とセンサ間の距離変動が大きな外乱要因となる。更に、身体表面は、観測したい脈動の他に、呼吸体動や手足頭の動きなどに伴う自発体動や走行時の車両振動を起因とする衝撃体動なども外乱要因となる。
図5の右には、走行時のドップラ角速度の変動の様子を示している。停車時の状態に対して、100倍以上の外乱が入り脈拍数の推定が困難となる。目標の達成のためには、車両振動や呼吸等の自発体動などの外乱の影響を抑えて、脈拍数を推定する技術の開発が必要となる。

図4 脈拍センサ外観
図5 車載脈拍センサにおける外乱

4. 技術内容

ここでは、上述の課題を解決するために開発した技術のなかから主要な次の3つの内容を示す。

①周辺金属物との位置関係の変化に伴うI-Qリサージュのオフセットずれの補正
②外乱に埋もれた脈動周期信号検出のための同期検波
③呼吸高調波等の周期性アーチファクトの除去

我々が開発した脈拍センサでは、電波センサが出力するI-Qリサージュの振る舞いを分析して、身体表面の動きを推定する技術をベースにしている。そのために、図6に示すようなI-Qリサージュを観測できる分析ツールを準備して開発を行っている。評価の基準としては、リファレンスセンサとして、容積脈波を検出できるイヤクリップ型の脈拍センサを別途用いている。以降、マイクロ波ドップラセンサを用いた脈拍数推定値をMDS値と呼び、リファレンスセンサによる脈拍数推定値をリファレンス(Ref.)値と呼ぶことにする。そして、MDS値とリファレンス値とのRMS(Root Mean Square)誤差を評価することで、脈拍数推定精度を示す。

図6 脈拍センサ出力分析ツール
図6 脈拍センサ出力分析ツール

4.1 I-Qリサージュのオフセット推定

I-Qリサージュの振る舞いを分析して、脈拍数を推定しているため、I-Qリサージュの円軌道の中心となるI-Qオフセット座標(IoffsetQoffset)が、脈拍数の推定精度に大きく影響する。そこで、I-Q信号の軌跡からI-Qオフセットを推定する技術を開発した。I-Qオフセットは、脈拍センサと周辺金属物との位置関係が変化すると大きく変動する。シート内に脈拍センサを設置する場合、周辺金属物を取り除くことが困難なため、精度を確保するためには、この技術が不可欠なものとなる。

図7 I-Qリサージュオフセット推定
図7 I-Qリサージュオフセット推定

図7に示すように、I-Qリサージュが描く軌跡を観測し、座標点ごとに通過した頻度を示す度数データを蓄える。
蓄えられた度数データに対して、微分フィルタ処理を施し、各軸方向の微分係数を求める。さらに、度数データの立ち上がりが急峻となる点を繋いだエッジとなる輪郭線を求める。この輪郭線を構成する各点から、先に求めた、微分係数を使って法線方向を決定し、法線方向の各座標への投票を行う。投票結果により最大投票数を獲得した座標をI-Qリサージュの中心として推定する。
この手法により、測定環境の変化をI-Qリサージュが描く軌跡の度数分布の変化として検出し、I-Qリサージュのオフセット位置の補正を行うことで、電波式脈拍センサを周辺金属物の多いシート内へ内蔵することを可能にしている。

4.2 脈動の同期検波

外乱に埋もれた状態から脈動信号を取り出すために、独自の同期検波アルゴリズムを開発している。その概略を図8に示す。身体表面の動きを観測しているドップラ角速度信号から脈動の周期成分に同期した信号を抽出し脈動信号とし、更にその信号からパルス検知を行ってパルス数をカウントして1分間当たりの脈拍数(bpm)を推定する。我々が開発したアルゴリズムでは、逐次処理により実際の脈動信号に同期するように、脈拍数推定値のフィードバックをかけてモデル脈波信号を生成する。モデル脈波信号生成では、予め脈拍数毎に脈波の特徴を記憶したテーブルを参照して、モデル脈波信号を生成する。このモデル脈波信号と適応フィルタ処理後の脈動信号との差をとり、その二乗平均が最小となるような適応フィルタの係数更新を行う。この操作により、適応フィルタ処理後の脈動信号は、実際の脈動信号に同期していく。
図9の上には、適応フィルタ処理前の生データを示し、図9の下には、適応フィルタ処理後の同期検波処理信号を示している。リファレンスセンサの信号と比較すると同期検波処理後の信号は、実際の脈動の信号に同期して検出されていることがわかる。

図8 脈動同期検波アルゴリズム
図8 脈動同期検波アルゴリズム
図9 同期検波処理の効果確認
図9 同期検波処理の効果確認

4.3 呼吸高調波のキャンセリング

我々が開発したアルゴリズムでは、周期信号に同期させるため、誤って脈動以外の周期信号にも同期する場合があり得る。身体表面での周期信号としては呼吸体動がある。脈動と比較して低周波であるためバンドパスフィルタにより分離することができると想定していたが、脈動の変動が呼吸の変動に対して非常に微細であるため、呼吸周期の高調波成分でも脈動の検出に大きく影響を及ぼすため、この呼吸高調波成分を抑制することが必要となる。
図10に、呼吸高調波をキャンセルするアルゴリズムの概要を示す。同期検波手法と同様に適応フィルタにより処理を構成している。ドップラ角速度信号から呼吸成分を抽出しその高調波を推定する。適応フィルタへ通し、ドップラ角速度信号との差をとり、その二乗平均が最小となるように適応フィルタの係数を更新する。また、差をとった信号が呼吸高調波をキャンセルした信号として出力される。この操作により、ドップラ角速度信号からは、呼吸高調波成分が抑制されるため、呼吸高調波に誤同期することを防止できる。
図11に周波数解析して効果確認を行った様子を示している。図11の上では、リファレンス信号との比較により、脈動の周期と呼吸成分周期の関係を示している。事前にバンドパスフィルタ処理しているため、呼吸成分の大きさは小さく表示されている。ドップラ角速度信号の脈動成分が呼吸高調波成分に挟まれ、脈動成分に同期させることが困難な状況を示している。
図11の下は、呼吸高調波キャンセル後の解析結果である。呼吸高調波成分が抑制され、脈動成分に同期し易い状況に改善されている状況を示している。

図10 呼吸高調波キャンセリング
図10 呼吸高調波キャンセリング
図11 周波数解析による呼吸高調波キャンセリングの効果確認

5. 性能評価

先に示した我々が独自開発した技術によって、走行中でも精度よく脈拍数の推定を行うことが可能となった。

図12 脈拍数推定RMS誤差分布
図12 脈拍数推定RMS誤差分布

図12に、安静状態6名と市街地走行13名の脈拍数推定値のRMS誤差分布を示している。
安静状態では、RMS誤差が5 bpm内に入っており、市街地走行では、概ね10 bpm内に入っている。市街地走行では、13名中、1名で10 bpmを大きく超えるRMS誤差となった。これは、着座姿勢によっては、測定部位の体表面が圧迫され、脈動成分の検出が困難となり、正しく測定できない状態となったと推測される。より安定的に測定できる環境を実現するためには、脈拍センサのシート内への設置方法を改善することが重要となる。
図13には、安静状態で2分間、リファレンスセンサと比較測定した3名分のデータを示している。安静状態であれば、比較的リファレンス値に一致した測定ができている。
図14には、市街地走行で20分程度、リファレンスセンサと比較測定した3名分のデータを示している。走行時の外乱によって、誤差が拡大しているが、平均してリファレンス値と一致した結果が得られている。
脈拍センサの設置条件を工夫することによって、任意の着座姿勢でも安定して測定できるように改善する課題は残るが、脈拍センサ単体の性能としては、概ね開発目標を達成できたと言える。

図13 安静状態での脈拍数推定精度
図13 安静状態での脈拍数推定精度
図14 市街地走行での脈拍数推定精度
図14 市街地走行での脈拍数推定精度

6. むすび

車載脈拍センサによって、運転中の脈拍数を測定して通知することで、ドライバへ健康管理の重要性を啓蒙することが大きな狙いの一つである。特に、運転は心身的負荷の大きなタスクであり、平常状態より脈拍数が高くなる傾向が強い。一般的に、脈拍数が高くなると心疾患リスクが高まると言われている。健康起因の事故を防止するためには、運転中に発病に至るまでに、日頃の健康管理によって予防することが重要である。運転中に脈拍数が高めになりやすいドライバは、日常の生活習慣を見直すことで、より健康的な状態で運転できるよう促していく必要がある。
今回開発した脈拍センサでは、シートに内蔵するため、ドライバを煩わせることなく脈拍数を測定することが可能である。一方で、着座姿勢等によって、観測部位の体表面が圧迫されると正しく測定できない場合が有り得る。また、外乱が大きな状態では、急激な脈拍数の変動に追従することが困難となり、同期検波のための初期安定化時間も必要とするため、脈拍数変動を利用したeCallシステムや感情推定などのより高度なアプリケーション等に対応していくためには、応答性及び安定性を更に高めていく必要がある。我々は、今後、脈拍センサの性能を更に進化させて、社会的課題の解決に繋げていく。

参考文献

1)
間瀬敦:「マイクロ波アクティブセンサを用いた生体計測とその応用」, 計測自動制御学会誌「計測と制御」3 VOL.50 2011, pp. 233