CTOメッセージ

イノベーションプロセスと議論を可視化し、いち早く新事業を生み出す。2020年9月 オムロン株式会社代表取締役 執行役員専務 CTO 兼技術・知財本部長 兼 イノベーション推進本部長 宮田 喜一郎

VUCA時代において、いかにイノベーションを実現するか

新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大は、オムロンにとってどのような影響を及ぼすのか、CTOの立場からみて、どのようにお考えですか。

以前からVUCA(Volatility:変動性、Uncertainty:不確実性、Complexity:複雑性、Ambiguity:曖昧性)時代といわれてきましたが、今回のパンデミックは、厳然たるリアリティを伴って、私たちにそのことを実感させました。先の読めない不確実な世界だからこそ、これまで通りのやり方ではとうてい戦えません。

たえず変化する未来に備え、私たちは常に複数の選択肢を持たなければなりません。

オムロンは、3年から10年先の具体的な近未来を起点としたバックキャスト型の新規事業創出に取り組んできました。その一つが、2018年に設立した、近未来をデザインすることでイノベーションを創出する全社プラットフォーム、「イノベーション推進本部」(IXI)です。IXIでは、この2年間、いくつもの近未来シナリオを描き、その実現に必要なビジネスモデルの探求に取り組んできました。トライ・アンド・エラーで検証を重ね、時にピボット(さまざまな方向性の検討)しながら新規事業の芽を探ってきたわけですが、今回、新型コロナウイルス感染症に直面し、このアプローチは間違っていなかったとの確信に至りました。VUCAといわれる時代だからこそ、未来に向けて多様な選択肢を並行して走らせることが、オムロンの成長に不可欠なのです。

「大企業からイノベーションはなかなか生まれない」という定説があります。創業以来、ベンチャー精神を鼓舞しイノベーションを実現してきたオムロンですが、IXIでは、この2年間、どのような成果が得られましたか。

自走的な成長力を身につけるために「両利きの経営」、つまり「既存事業を深化させるための開発」と「未来に向けた新たなビジネスモデルの探求」に取り組んでいます。IXIが担うのは、「未来に向けた新たなビジネスモデルの探求」です。

2018年からの2年間に全社から持ち込まれた膨大なアイデアの中から、現在、事業化検証の段階に進んでいるプロジェクトは6件あります。大分県と連携協定を交わした高齢者の介護予防サービス事業や、中国でのアグリオートメーション事業などです。それぞれ分野は異なりますが、興味深いことに、いずれも「データ・ドリブンなビジネス」だという共通点があります。言い換えると、オムロンが得意とするセンシング技術によってさまざまなデータを収集し、それが本質的なソーシャルニーズとつながることで、新たなビジネスチャンスが生まれつつあります。

それは、既存の事業部門ではできなかったことでしょうか。

いまはVUCA時代ですから、一つのシナリオに決め打ちするのは現実的ではありません。変化する未来に対応するためにも、シナリオを複数用意して、たえず検証とピボットを繰り返す必要があります。それゆえ、手間がかかり、どうしても効率が落ちる。こうした冗長性は、予算責任を持つ既存事業部門では、なかなか許容できません。ですから、既存事業の枠内では実現できない新たなソーシャルニーズの発掘とその事業化は、IXIの役割なのです。

新事業創出に不可欠なナレッジマネジメント

逆に、浮かび上がってきた課題はありますか。

新たなソーシャルニーズの発掘とその事業化に伴う「ナレッジマネジメント」の仕組みを、組織として構築できていなかったことです。

特に注視したのは、プロジェクトの起点となる「事業テーマ選定」でした。ここで重要となるのは、本質的なソーシャルニーズを見出す着眼力があるかどうかです。一見すると社会的ニーズがありそうな事業テーマはいくつか見つかりますが、その見極めが甘く、個別ニーズの範疇に留まってしまうと、事業化してもスケールアップしません。特定顧客の個別ニーズを少し広げた程度では、売上規模はせいぜい10億円程度で頭打ちでしょう。当社では新規事業のハードル(最低基準)を売上30億円と設定していますから、本質的なソーシャルニーズをとらえたビジネスモデルでなければ、新規事業としてローンチできないのです。

また、事業テーマ選定後の事業化に向けたプロセスでは、特定のプロジェクトメンバーの個人的努力に依存していたケースが少なからずありました。また、マネジメント層のリーダーシップが不十分だったこともあり、ローンチまでの推進力が不足し、スピードが低下しているケースもありました。

そこで、これらの反省点を踏まえ、新事業創出のみならず、その確度を高めるナレッジの共有と利活用を目指して、双方のプロセスを組み合わせた「統合イノベーションプロセス」という仕組みを整えました(下図参照)。この仕組みでは、フェーズ0は「テーマ選定」、フェーズ1は「戦略策定」、フェーズ2は「事業検証・技術検証」、フェーズ3は投資を伴う「事業開発」、という4つのフェーズから成り立っています。そして、フェーズ0と1の間、フェーズ2と3の間には、重要な“関所”が設けられています。前者が「テーマ選定会議」、後者が「投資委員会」です。

統合イノベーションプロセス

フェーズ0:テーマ選定→テーマ選定会議(2人の目利きによるテーマ選定)→プロジェクトチーム発足→フェーズ1:戦略策定→仮想営業部隊発足→フェーズ2:事業検証・技術検証→投資委員会(社長参加による投資可否の判断)→フェーズ3:事業開発

フェーズ0の初期段階では、事業テーマのアイデアを募集します。社員であれば誰が手を挙げてもいいことになっており、実際に全社のあらゆる部門からテーマが持ち込まれます。ただし先ほど申し上げた通り、ここで重要なのは、本質的なソーシャルニーズを見出す着眼力です。事業としてスケールアップできる可能性があるのか、この段階でテーマへの目利きが要求されるわけですが、その重要な役割を担うのが、第1の関所である「テーマ選定会議」です。ここには、オムロン内外での豊富な事業経験を持ち、特に新規事業の成功と失敗のツボを心得た、目利きができる人財をIXIと研究開発を担う技術・知財本部に1人ずつ配置しています。彼らが、本質的なソーシャルニーズに応えるものかという「着眼力」、そして事業としてスケールアップできる可能性があるのかという「商人あきんど感覚」という2つの視点から、テーマを精査します。

創業者である立石一真の凄いところは、本質的なソーシャルニーズに着眼し、その時点では世の中に存在していなかった自動券売機や家庭用健康機器などを開発しただけでなく、商人感覚を発揮することで、現在のオムロンの主力事業へと育てたことです。今回の統合イノベーションプロセスは、創業者のそうした方法論を可視化し、現代風にアレンジしたものです。VUCA時代に即した、「イノベーションのコンパス」といえるものです。

この統合イノベーションプロセスは、向かうべき方向を指し示すだけでなく、プロジェクトがどのステージにあり、何を判断しなければならないのかを確認するツールでもあります。たとえば、あるプロジェクトが壁にぶつかっているとしましょう。この場合、テーマの前提が違っていたり、戦略において何か重要な要素が不足していたりする可能性が考えられます。であれば、しかるべきフェーズに立ち戻り、それらを見直す必要があります。

それを客観的に、そして素早く判断するためにも、プロジェクトの現状や進捗を「可視化」することが大切です。この統合イノベーションプロセスでは、IXIと技術・知財本部の全員が、オンライン上で各プロジェクトの状況を確認できます。議論もオープンになっており、毎回100人以上のメンバーが議論に自主的に参加しています。

私がこうしたオープンなナレッジマネジメントの仕組みにこだわったのは、イノベーションの試みが、ともすれば属人化しやすいからです。プロセスが可視化できていないと、個人が暴走する可能性があるだけでなく、逆に周囲の協力を得られないことから、当事者に負荷がかかりすぎて崩壊する事態に陥ることも考えられます。また、プロセスを通じて得られるナレッジが要所要所で蓄積されなければ、失敗を次に活かすこともできません。イノベーションを偶然の産物にしないためにも、組織としてナレッジを蓄積・共有し、新事業創出のスピードと確度を上げていく必要があります。

多くの企業がジレンマに陥ってしまうように、イノベーションは一筋縄ではいきません。想定外の事態に臨機応変に対応しながら、新たなビジネスの芽を育てていかねばならない。しかし時代は待ってくれません。何より大事なのは、スピードを上げていくこと。この「統合イノベーションプロセス」は、けっして形式的な承認プロセスではなく、イノベーションを加速させるための仕組みなのです。

戦略策定と検証を繰り返すことでプロジェクトを進化させる

テーマがどのようなプロセスで事業化へと進んでいくのか、もう少し具体的に説明いただけませんか。

たとえば、フェーズ0で「遠隔診療」のテーマがあったとします。スタート時点では、オムロンが主語でなくてもかまいません。ですから、まず遠隔診療の世界を牛耳るのは誰なのかという視点で未来を描くことから始めます。それが描けたら、オムロンはそこでどのような事業が展開できるのか、その事業はどれくらいの規模が期待できるのかを議論します。つまり、このフェーズ0では、プロジェクトのビッグピクチャーを描くのです。

そして、最初の関所となる「テーマ選定会議」では、そのプロジェクトの事業可能性を、ソーシャルニーズの着眼力とスケールアップの観点から判断します。

テーマ選定会議でゴーサインが出ると、プロジェクトチームが組成され、フェーズ1の戦略策定プロセスに入ります。遠隔診療に必要な規制緩和や医療技術の進歩、競合他社の戦略なども想定して、オムロンの強みを生かした製品やサービスの姿を具体化していきます。

次のフェーズ2では、仮想営業部隊(売上ノルマはないが、策定した製品やサービスが売れるかどうかを現場で検証するチーム)も動き出し、事業検証が始まります。並行して、ここで提供する製品やサービスに必要な技術についても検証します。事業モデルと技術モデルの双方において、戦略と現実にギャップがあれば何度もピボットを重ね、場合によっては一つ前のフェーズに戻って、テーマや戦略の策定をやり直す。

これらの策定・検証プロセスを何度か回した後、事業化の目処がついたら、第2の関所となる「投資委員会」にかけられます。ここでは、事業規模に加え、具体的な戦略、実現可能性も含めた総合的な観点から、本格的な事業開発に向けて投資するフェーズ3に進めるか否かを判断します。

先ほど、現在6つのプロジェクトが進行中だと申し上げましたが、その中の「中国でのアグリオートメーション事業」が、このフェーズ3まで進んでいます。2020年3月には、上海で新会社オムロン スマートアグリテクノロジーズを設立し、現地における生鮮食品の流通実態も見極めながら、中国での事業可能性を検証・評価する最終ステップに入っています。

山田CEOはどのフェーズから参加してくるのでしょうか。

フェーズ3の手前、投資委員会からです。ここで山田が必ず聞いてくるのが、「撤退基準」です。「年以内に、売上げが円以上、もしくは市場シェアがパーセント以上にならなければ撤退する」といった具合に、数値を含めた具体的な基準を示す必要があり、私もそれにコミットします。新規事業とはいえ、一定の規律が欠かせません。

こうした試行錯誤を重ねていくと、着実に人財が育成されていきますね。

その通りです。IXIでの2年間を振り返ってみても、プロジェクトに携わったメンバーはさまざまなトライ・アンド・エラーを経験したことで、大きな学びを得て、着実に成長しています。その意味でこのイノベーション創出プロセスは、同時に人財育成プロセスでもあるといえるでしょう。このプロセス自体もイノベーションなのです。

しかし、売上30億円以上の新事業を創出するのは、けっして容易なことではありません。ですから、プロジェクトメンバーは、本質的なソーシャルニーズを見出す着眼力と事業をスケールアップさせる商人感覚に加え、何としても事業を成功させるという強い信念が必要です。オムロンには、こうした起業家精神あふれる人財がもっと必要です。

そしてもう一つ大事なことは、経営のコミットメントです。新事業創出を現場に丸投げすることなく、マネジメント層が覚悟を持って一緒に取り組むことができるか。タテ型の事業組織と違い、イノベーション組織はフラットかつオープンなネットワーク型であるべきですから、新事業創出は全社総力戦で臨まなければなりません。

「統合イノベーションプロセス」という全社の知恵を結集する新たな武器を手に、失敗してもけっしてタダでは起きないという七転び八起きのベンチャー精神で、このVUCA時代においても、果敢にイノベーションに挑んでいく所存です。