活躍の場は、国内から海外へ
厳しい暑さが続く真夏のある日。「来年の年明けから1年ほど、イギリスに行ってくれないか」。上司の言葉は、思いもよらないものだった。次世代マシンコントローラ用に統合開発環境をアーキテクチャから10年ぶりにすべて一新する。そのために、最新のソフトウェア技術による開発経験を持つイギリスのソフトウェア開発拠点に、商品開発の主管部門である日本のソフトウェア開発部からも人財を送ることになった。海外の開発現場で戦力になれること、アーキテクチャの全容を理解し、その後の日本での開発でもリーダーとなれること。この2点が技術者を選定するうえでの条件だ。「君なら適任だろう」。以前から新しいことへのチャレンジ意欲を見せていた自分に、上司はそう言葉をかけてくれた。語学面で不安もあったが、技術には無二の自信がある。「ぜひ、行かせてください」。こうして、身辺がにわかに慌ただしくなった。
技術者同士の信頼関係は言葉の壁を越える
それから約5カ月後、イギリスへと渡った。ロンドンの地に降り立ち南へ車で約1時間。港町サウサンプトンの郊外にあるオムロンヨーロッパのソフトウェア開発センターにたどりついた。これから1年間、職場となる場所だ。あらかじめ用意されたアパートから職場に通いつつ自分で家を探し、3カ月後に家族を呼びよせた。日々の仕事や生活準備など慌ただしい時間を過ごすうちに、少しずつ英語にも慣れていった。
そして現地の開発チームに参加した後、技術の猛勉強が始まることとなる。優秀なチームメンバーに負けず結果を出し、開発の主要な部分を任せてもらえるようになりたかったからだ。開発はMicrosoft .NET Frameworkを基盤に、プログラミング言語としてC♯を使用することに決定。FA業界では最先端の選択であり、自身にとっても初の挑戦だ。もともと好きな道であるところに適度なプレッシャーも加わって理解は早い。チームメンバーと言葉の壁を越えた技術者同士の信頼関係が築かれるのも遅くはなかった。
FA業界世界初のソフトウェアの実現に挑む
厳しいロバスト性(安定性・信頼性)の要求に応えるため、FA専用に設計・開発されてきたFA用機器。コントローラのプログラミングも、FA電気技術者用“ラダー言語”をもとに各社様々な仕様を採用してきたという経緯がある。その結果、ユーザー企業のソフトエンジニアは、各社仕様の言語を複数同時に習得する必要があった。しかし、今回開発する新商品は、それを一変させてしまう。ソフトウェア構造をPLCプログラミング言語の国際規格であるIEC 61131-3に適合させることで、機械の機能に応じた最適な言語でユーザーがプログラミングできるようになる。さらに、ユニットやネットワークなどの構成設定、シミュレーションによるデバッグ機能など、統合開発環境によりユーザーによる機械開発全体をひとつのソフトウェアでサポートできるようになるのだ。
やがて、開発を進めるうえでまたひとつ大きな決断がくだされた。前述の技術に加え、マイクロソフト社の最新ユーザーインターフェイス技術であるWPF (Windows Presentation Foundation)を採用し、直感的で統一感のある表示と操作性を両立した、まったく新しいソフトウェアを目指すことになったのだ。この挑戦は、FA業界では世界初。投入するリソースも、技術者としてのやりがいもさらに大きくなる。赴任期間も1年延長となり、チームはますます活気づいていった。
尊敬するメンバーたちとのラストスパート
開発は順調に進んでいた。技術的課題に行き当たれば、その度にチームミーティングを重ねた。技術者の間には、プログラムの統一表記法UMLや各種プログラミング言語などの“共通語”がある。赴任前は不安だった言語の壁もほとんど感じることなく、スムーズに意思疎通ができた。特に、ソフトウェアアーキテクトであり技術的なリーダーでもあったStuartはメンバーからの相談に、いつ、誰に対しても懇切丁寧に対応。「自分の仕事はいつしているのだろう」と不思議になるほどだった。その姿に技術者としてだけではなく、人間としても深い親しみと尊敬を抱くようになったことを憶えている。“国際的に通用する真のプロ”は偉大かつ身近な存在であり、「自分もいつかこの人のように」と思えたことは大きな収穫でもあった。
順調だったとはいえ最新の技術を使った膨大な規模の開発は、最終的に時間との競争になった。迫り来るリリース日に向けて、新メンバーも加わり開発スピードを加速。チーム全員が一致団結して開発に取り組んだ。
スタートは、リリース後から。
今後も世界を舞台に挑戦を続ける
2011年7月。ついに開発の成果が新製品となって市場に投入された。自分にとっても入社以来最大のミッション。心は大きく浮き立った。しかし、これで満足するわけにはいかない。発売はゴールではなくスタート。その後は、最速最短の開発で商品を進化させていく必要があった。
このソフトウェアのリリース後は、日本でコントローラのプログラミング機能全般のバージョンアップを受け持つ実装チームのリーダーに着任した。そして今この瞬間も、この次世代商品のさらなる進化に向けて日々の業務に取り組んでいる。